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長谷川恒男 PROFILE

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足 跡 ーそくせきー

長谷川恒男 画像1

 

長谷川恒男 画像2

 

長谷川恒男 画像3

1947年12月8日

神奈川県愛甲郡愛川町半原に生まれる。

 

 

1963年

(株)日本コロムビアに入社。

神奈川県立神奈川工業高校卒業。

15歳から登山をはじめる。

69年から新潟県の明星山の岩壁に4本の新ルートを開拓したのをはじめ、冬季登攀をつぎつぎに行い実力を養う。

 

 

1971年

日本コロムビアを退社後、(社)日本アルパインガイド協会公認のガイドとして活動をはじめる。

 

 

1973年

第?次RCC主催のエベレスト登山隊隊員として初の海外登山を経験し、標高8300mに到達。

 

 

1975年

谷川岳一ノ倉沢に残された最後の冬季未踏ルート・滝沢第2スラブの初登攀を単独で行う。

アルパインガイドとして四季を通じて活動しながら、77年〜79年にかけてヨーロッパアルプス3大北壁の冬季単独初登攀を達成。

 

 

1981年

南米大陸最高峰のアコンカグア南壁の冬季単独初登攀に成功。その後エベレストをはじめとするヒマラヤでの困難な登攀に挑みつづける。

 

 

1991年10月10日

パキスタン・ウルタルII峰で雪崩により遭難。享年43歳。

遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、墓地も造営された。

 


1993年10月10日

東京都山岳連盟が日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)を開催。毎年行われている。

 


2011年10月10日

没後20年を記念して御岳山の長尾平に顕彰碑が建立された。

登山年譜

1973年 ネパール・エベレスト(8848m)
1977年 マッターホルン北壁シュミットルート冬季単独登攀
1978年 アイガー北壁冬季単独初登攀
1979年 グランドジョラス北壁ウォーカー稜冬季単独登攀
1980年 アンデス・アコンカグア北面ノーマルルート冬季単独初登頂
1981年 アンデス・アコンカグア南壁フランスルート冬季単独初登攀
1982年 パタゴニア・フィッロイ北東壁新ルート試登
1983年 ネパール・ダウラギリ?峰(8167m)北東稜(ポストモンスーン)
1984年 パキスタン・ナンガパルバット(8125m)南西稜(プレモンスーン)
パキスタン・ナンガパルバット中央側稜単独(ポストモンスーン)
1985年 中国・チョモランマ(8848m)北東稜(ポストモンスーン)
1987〜88年 中国・チョモランマ北東クーロワール(冬期)
1988年 中国・チョモランマ北東クーロワール(冬期)
1990年 パキスタン・ウルタル?峰南西壁
1991年 パキスタン・ウルタル?峰南西壁

著 書

  • 『北壁に舞う』(集英社文庫)
  • 『岩壁よおはよう』(ヤマケイ文庫)
  • 『北壁からのメッセージ』(中公文庫)
  • 『山に向かいて』(福武文庫)
  • 『生きぬくことは冒険だよ』長谷川昌美、小田豊二編(集英社文庫)
  • 『我が青春の挑戦』堀江謙一共著(聖教新聞社)

関連書籍

  • 『長谷川恒男 虚空の登攀者』佐瀬 稔著(中公文庫)
  • 「残された山靴:志半ばで逝った8人の登山家の最期」(山と渓谷社)

映画および記録フィルム

  • 『北壁に舞う』(1979年)
  • 『ウータンと12人の仲間・八ヶ岳編』(1992年)
  • 『ウータンと12人の仲間・穂高滝谷編』(1993年)
  • 『ドキュメント・長谷川恒男』(1993年)

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