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[寄稿]長谷川恒男【ピオレドールアジア】特別賞を受賞して

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長谷川恒男【ピオレドールアジア】特別賞を受賞して

長谷川 昌美

 

「ピオレドール(金のピッケル)」は、その年に活躍したクライマーやクライミングチームに与えられる登山界における一種のアカデミー賞。そのアジア版が今年第5回目を迎えた。

ノミネートされたのは3チーム、カナダのMt.ローガン東峰(5900m)の南東壁を初登攀した日本の横山勝丘・岡田康チーム。中国のシグニャン峰(6250m)南壁を新ルートから登った中国チーム、ゾウ・ペン、ヤン・ドンゴンのふたり、中国のシャオゴンガシャン(6027m)南壁を新ルートから登った韓国のキム・グテイと22名の隊員だった。

賞の選考委員のひとり、「山と渓谷」社の萩原浩司さんを介して、選考委員長、雑誌「山と人」Hong Suk-Haさんからソウルへのご招待をいただいたときは、耳を疑った。長谷川恒男が、ピオレドールアジアの第一回アチーブメントアワードに選ばれたというのだ。

夫は、1991年10月10日、パキスタン北部フンザにある未踏峰ウルタル(7388m)で雪崩によって亡くなった。その前年は、同峰の7000mを越えたところで撤退したが、翌年は、順調にルートがのび頂上も間近いという矢先の出来事だった。あれから19年、墓のあるウルタル峰の下の村カリマバードには「長谷川メモリアルパブリックスクール」を創設したし、日本山岳耐久レース「ハセツネ」も10月10日・11日に開催され、今年で18回を数えた。来年の10月10日は死後20年の記念の年となるため、コース上第三関門、長尾平に石碑を設置する予定である。

長谷川のアジア登山界への貢献が死後20年近くたった今、再評価された、と思うと、ありがたく賞を頂戴しようと私は韓国へ出発した。

会場となったソウル市内のATセンターというイベント会場の広いスペースでは「マウンテンコリア2010」というフェスティバルが開催され、各スポーツ用品メーカーがブースで商品を展示。山岳映像フェスティバルや講演会などいくつかのイベントが併催されていた。

授賞式は2010年10月22日午後6時から始まった。

ピオレドールに先立ち、韓国の人々への各賞の授賞式があり、韓国山岳文学賞、第三回ゴールデンクライミングシューズ賞(フリークライミングのキム・ジャイン嬢受賞)のあと、長谷川の登攀映像、ハセツネなどのスライドショーで、経歴が披露された後、私はステージにあがり、審査員のイタリア人から、ピオレドールアジア特別賞をいただいた。グリベル社製の金のピッケルには【TSUNEO HASEGAWA 1947-1991】 と刻印されていた。

そして、いちばん最後、第5回ピオレドールアジアは、中国、韓国の2チームを抑えて、日本の横山・岡田チームに輝いた。日本から両親と婚約者を連れて韓国へ赴いたジャンボ横山君のとびっきりの笑顔で、授賞式は幕を閉じた。

 

 

   



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